「技術」は何故学問にならないか。

学問というとオーバーな表現になりますが。

「技術」とは、どうやってボールをクラブで打つのか、どうやってボールを遠くに投げるのか、これらのことをより上手に行うために、説明したり、その方法を教えること全般を「技術」とここでは呼びます。

その「技術」は、スポーツを科学する分野で、しっかりとした教科書のようなものは見たことがありませんが、何故なのでしょうか?

私が思うには、体の使い方や、ゴルフクラブや野球のバットなどの道具の使い方を、100%文字や言葉に出来ないからだと思います。

非常に感覚的なものが含まれているのでしょう。

明確な言葉に出来ないものを伝えることが、「技術」を教えることなのではないかと私は考えます。

指導者には「目」が不可欠。

指導する人に要求されるのは、わずかな違いを見抜く「目」だと思います。

その「目」とは、ハイスピードの映像ではなく、ナチュラルスピードの映像(または実際の動き)を見極める「目」のことを言います。

実際のスポーツの動きは、瞬時にして終わってしまいますが、その瞬時に終わってしまう「動き」を見極める能力です。

結論として、技術は人から人へと、直接伝えるしかないと思います。

大まかなところまでは、文字や映像によってある程度伝えることが出来ますが、凄く微妙な部分、つまりゴルフでいうなら、ロブショットを打つときの、手首の使い方でなどは、何度もショットを繰り返して、教わる方は感覚として手首の使い方を身につけるしかないと思います。

正しい技術とはわかりにくいもの。

技術は、人から人へと伝えるものなので、何が正しいのか、第三者から見てわかりにくいものであるのは事実であります。

マスコミなどで、「これが正しい打ち方である」などという報道がされれば、一気にそれが正しい打ち方である、という流れが起きて、大勢の人がそれが正しい「技術」と信じ込む現象が起きます。

だから、ぶれない正しい「技術」を教えることの出来る、指導者の存在が不可欠なのです。

タイトルとURLをコピーしました