私の経歴①

私が今までにやってきた仕事について、私のショップで普段接しているお客様には、多少なりとも話す機会がありますが、このインターネット上で接している皆様にも、私どものやっていることを、より深く理解していただくために、しばらくはそれをここの話題としようと思ってます。

アマチュアリズムというブランドは、平成7年に商標登録して、それからいろいろな製品を作ってきました。

平成8年の4月から、女子プロの森口祐子さんが、試合で私どものドライバーを使い始め、それをきっかけにトーナメントを回るようになりました。

また、6月には、男子プロの高橋勝成さんが、同じドライバーを使い始めました。

そして、その年は、男女合わせて22試合のトーナメントに足を運び、よりよい道具を作るために、プロといろいろ意見交換しました。

特に、高橋勝成さんとは、より強い弾道を得るために、随分沢山のドライバーを作りました。

ロフト角、フェース角、ライ角がまったく同じであっても、ヘッド内部の重量配分を変えれば、スピン量の変化などによって、弾道がかなり変わるものだと知りました。

ただ、あの当時は、チタンヘッドは国内で作っており、製造コストも結構高かったので、10本近くも試作を作るということは、私のところのような小さな会社には、結構な負担でした。

しかし、それで得た知識は、その負担額よりも大きなものであることは、まちがいありません。

それまでは、プロのツアーとは無縁したので、何の伝手もなく、とにかくあたって砕けろ方式で、茨城から軽井沢、岡山までと、トーナメントを自動車で回りました。

慣れないことと、疲労で、体重が5キロ減ったことをおぼえています。

また、トーナメントプロの、移動の大変さを実感できました。

プロには、ドライバーだけでなく、フェアウェイウッド、アイアン、そしてウェッジまでクラブを提供してましたので、より使いやすくするためや、より強い弾道を得るため、ない知恵を絞り、随分頭をひねったことが、その後の進むべき方向を決めたように思います。

最後に、高橋勝成さんの思い出は、たとえば、クラブハウスでゴルフクラブについて話し合うとき、一度も立ち話はしませんでした。

「上(レストラン)で、お茶でも飲むか、食事でもしませんか?」と、必ずそのように接してくれました。

私なんか、本当にどこの馬の骨かわからないような存在だったと思いますが、高橋さんの紳士的な態度には感心しました。

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