オリンピック スポーツと平和の祭典?

2022年の冬のオリンピック、いつもの事というか、いろいろとトラブルが出ているようです。最初に、オリンピック憲章の中にある言葉を引用します。

 「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化、国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解しあうことで、平和でより良い世界の実現に貢献する。」

 素晴らしいオリンピックの精神が述べられています。しかし、今中国で行われているオリンピックは、何に向かって行われているのでしょうか。私には、「興業」にしか見えません。そして興業には、「興行主」がおり、それは国際オリンピック委員会 IOCではないでしょうか。

 2年前に香港で起こった市民に対するひどい弾圧、マスコミやカメラが回っている状態で、あれだけのひどいことをするのですから、ウイグル自治区で起こっていることは、想像以上の事なのでしょう。平和とは無縁の国で、オリンピックは行われないはずなので、やはり「興業」が行われているのです。

 スポーツには必ずルールがあって、そのルールが守られているから競技が成り立つのです。野球でいえば、ゲームの途中からストライクゾーンが変われば、間違いなく大混乱です。IOCには、厳格にルールを守って、公平、公正に競技を行おうという意識が完全に欠落しています。オリンピックという「興行」を開くことが唯一の目的なので、悪く言えば競技の進行は「適当」です。

 2000年のシドニー五輪の柔道の試合で、篠原選手が見せた「内また透かし」で1本勝ちしたはずの試合は、審判の1人は投げられた選手の技を有効とみて旗を揚げました。「内また透かし」を知らない人が、ジャッジをするようでは、4年に1回の大舞台にかけてきた選手に対する「冒涜」です。

 オリンピックという「興業」は、世界から人を集めてきます。選手だけでなく審判団も集めます。色んな国から審判を参加させますので、審判としての能力ではなく、「公平」に様々な国から審判を選ぶのでしょう。また、選ばれた審判は箔がつくので、是が非でもオリンピックの舞台で審判をやりたいはずです。オリンピックのすべての競技に関わる審判たちの間にある「空気」は、厳正なものでなければならない、ではないでしょう。今回の高梨沙羅選手の問題も、「軽い気持ち」でジャッジしている表れでしょう。ジャッジする人間は、立場上選手より上にいるわけですから、それを「悪用」していると言えます。こんなオリンピックを続けていてはだめなので、色んなところで、そして多くの人が意見を言うことで、変えていかなければいけません。

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