体罰・・・前編

スポーツの本質

大阪府の高校生が、体罰のために自らの命を絶つという、誠に悲しい事件でした。

2種類の「体罰」

1つの「体罰」は、規則を破って受ける体罰です。

私が高校生の時、昼休みに友達と学校を抜け出して近くのうどん屋に昼飯を食べに行き、学校に戻ったとき先生に見つかり、ビンタを食いましたが、今思い返すと何となく楽しさを感じます。

その時先生が、「おまえたちのために叩くのだぞ」と言い、先生の愛情を感じたのです。

もう一つは、今問題になっているクラブ活動に関わる「体罰」で、これはどんな理由があっても絶対にしてはいけないことです。

少し気が抜けているから、大事なところでミスをしたから、これによって生徒に手を挙げることは、絶対に許されません。

何故殴るのか?

これは単純なことで、生徒が肉体的に危害を加えられることを恐れて、いつも以上にがんばろうとする、それによって試合で良い結果が出る場合もあるかもしれないけど、がんばる動機が「暴力を受けたくない」であり、これが教育の場である学校で行われることはありえません。

素晴らしい指導者?

何年も続けて、その学校をインターハイに出場させているから、指導者としては素晴らしい、という論評を見ましたが、全く大きな勘違いです。

試合に勝つために、生徒に何十発もビンタを食らわすことが出来る人間とは、相手のことを思いやることの出来ない、全く無神経というか、人を指導することなど絶対にやってはいけない人種です。

競技者として、または人間として成長するために、試合に勝つために受けた「体罰」は、何かプラスの面があるのでしょうか?

私には、思いつきません。

試合の結果ではなく、生徒の成長を願い、それの手助けをするのが指導者の役割ではないでしょうか。

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