スポーツの在り方ー再考

写真は、高校で一生懸命野球に打ち込んでいる、長男の内野手用のグローブです。

今年の夏の甲子園で優勝した、駒大苫小牧高校の暴力事件が連日報道されていますが、この報道で感じるのは「選手不在」です。

何故、事件を学校は隠蔽するのでしょうか?

おそらく、甲子園に出ることで、学校に大きな利益をもたらすのでしょう。

まして、甲子園で優勝ともなれば、それはもっと大きなものになるのでしょう。

今回の報道で、学校側と殴られた親子との間で、まだ和解が出来ていないうちに、秋季リーグの日程が話題となっていましたが、学校が甲子園に出ることが重要で、それが選手Aであっても、Bであっても、Cであっても構わないのだと、はっきりとわかりました(私の長男から聞いてわかったのですが、秋季リーグの優勝校が選抜に出られるのですね)。

選手、正確に言えば生徒の問題を解決するより、学校が来年、甲子園にいけるかどうかが、大きな関心事なのでしょう。

本当の意味で選手に優しい社会なのか

だけど、甲子園に行くためにグランドで戦うのは選手です。

学校から観れば、グランドで戦うのは、血の通った人間ではなく、ただの「駒」のように感じられます。

一人の生徒を、続けて何発も殴れるのは、その生徒の、学校での生活や、将来のことを考えたら、私には絶対にできないし、ただの「駒」としか考えていないからこそ、グランドでしっかり働くよう、脅し半分で「気合」を入れる行為をするのではないでしょうか。

学校の役目は、成長過程にある子供たちの、心身を健全に育てあ上げることであり、その手段としてスポーツを行うのであるのが、いつの間にか、スポーツを行うこと自体が大きな目的となってしまい、試合に勝つためには、手段を選ばないという風潮があるように感じます。

いい選手がいたら、遠くから引っ張ってきて、学校に入学させる、そして、その生徒には色々便宜を図る、よく行われている事のようですが、本当にこれでよいのでしょうか?

ゴルフにおいては、ジュニアの有望選手に、ゴルフメーカーがゴルフクラブやボール、そしてウェアなどを無償で提供しています。

普通の人たちは、お金を出して買っているものを、自分たちはただでもらっている、そうすると、ジュニアゴルファーは勘違いをして、自分は特別な人間であると思うのでしょうか、随分と横柄な態度を取っている子供を見かけます。

アメリカでは、学生ゴルファー(中学から大学生まで)にボールやクラブなどを提供すると、試合の出場停止など、大きなペナルティが科せられます。

タイガー・ウッズが、USアマチュア選手権に3連覇した時、彼はスタンフォード大学の3年生でしたが、最終日の服装は今と同じで、赤のシャツに黒のズボンでした。

しかし、彼が着ていた赤のポロシャツの襟は、擦り切れているのがテレビの画面からわかり、彼ほどの選手でも、ルールに従っているしっかりとプレーしているのを見て、健全にゴルフが行われていると感心しました。

日本も、子供たちの将来を考えて、しっかりとしたルールを確立すべきです。

タイトルとURLをコピーしました