体罰・・・続き

スポーツの本質

オリンピックに出場するような選手の間でも、体罰が問題になっています。

問題の本質は、いったい何なのでしょう?

理不尽な体罰

私は、実際に打ち合う空手をしていましたので、顔や身体に突きや蹴りを受けたことがあります。

前にも話したように、学校を抜け出して先生に叩かれたこともあります。

でも、両方とも私を殴った相手を憎いと思ったことはありません。

それには理由があるので、憎しみの感情は起こりませんが、理由がわからず暴力を受けたのであれば、憎しみを抱き、大きく心が傷つきます。

練習中に、気合いが入っていないということで殴られれば、それは理由になっていません。

学生時代、先輩に対しては極端にペコペコするけど、下級生に対してはひどいことをする上級生がいました。

私はその態度が本当にいやだったのですが、このような人間が下級生から反発を受けたらどうなるのだろうと、と多少興味がありました。

ある時、私の嫌いな先輩が、いつものように練習の態度が悪いと説教を始めたのですが、私の前に来たとき、私を少しこづいたので、興味と怒りでその先輩に反撃しました。

その後、上級生から集団で呼ばれ、説教をされるか、何らかの制裁があるのではと、内心ビクビクしていましたが、誰一人としてその事を言う先輩はいませんでした。

本当に意外でした。

立場を利用して暴力をふるう人間は、相手が自分に向かってこないという前提で行っているのだと思いました。

おとなしく、理性のある人間に対してのみ暴力をふるう、陰湿で、自分勝手なその行動をする人間は、絶対に許してはならないものです。

指導者に求められる「強さ」とは

ここでいう「強さ」とは、我慢または忍耐強さと、打たれ強さをいいます。

選手が自発的に練習に取り組むまで待つ心。

強制ではなく、勝つことや、良い結果を出すことが、どれほど心地よいものか、どれほどの自信や、次へのやる気に繋がっていくことを、わかりやすく説明して、そして理解してもらい、選手自ら努力を始める、それが成長へとなるのです。

何かを行えば、必ず批判をする人間は現れます。

それがマスコミであったり、父兄であったりします。

自分が正しいと思っている指導方法があれば、例え周りがギャーギャー言っても、それを曲げずに突き進める、強い姿勢が必要です。

打たれても、打たれても決してひるむことのない人が、真の指導者です。

この問題は、語らなくてはならないことがたくさんありますので、もう一度同じテーマでお話したいと思います。

タイトルとURLをコピーしました