店長の視点(AMATEURISM)
「自分なりの解釈」は、当然の行為
人から投げ方や、打ち方を教わるとき、その人がどのようなことを言っているのかを理解しようとして、色々考えるのは極めて普通の行為です。
そして、同じようなことを何度も繰り返して、その人に聞くのも失礼に当たるかもしれないので、その人の言っていることを「推測」すると言うことも、気づかないうちにしているでしょう。
私は、ここに上手くなる人と、上手くなれない人の分かれ道があるように思います。
打ち方であるとか、投げ方などは、非常に瞬間的な動きであり、それを言葉にして現すということは、限界があることを理解する必要があると、私は良く思います。
教える側が「教えたいこと」を完全に伝える作業は、大変手間のかかるとこと思います。
例えば、ある子供が2人スクールに入ってゴルフを習い始めたとしましょう。
しばらく経ってから、一人の子供は上達したが、もう一人の子供はあまり上達しなかったとすると、回りの大人達は「才能」や「センス」などという言葉を使って、説明しようとするでしょうが、私は決してそうではないと、かなり前から理由を探してきました。
「自分なりの解釈」は正しいとな限らない
写真のようなグリップをするプロゴルファーを時々見受けます。
きつい言い方をしますが、たいていの場合、パッティングが上手な選手ではないでしょう。
仮に人からその握り方を教わった場合、外見は似ているので、そのグリップの仕方をマスターしたように見えますが、その人の結果が良くないならば、肝心なことが伝わってないと考えるべきでしょう。
野球選手で2割5分を打つ選手と、3割5分打つ選手のフォームの違いはどこですか、と聞かれても、ハッキリと答えにくいでしょうし、一見同じように見えます。
しかし、2人が身につけている「技術」には、ハッキリと差があるわけで、それが結果として表れます。
2人の選手が技術を身につけようとする過程において、「自分なりの解釈」が良ければ良い結果を出せる選手になるし、その「解釈」が間違っていれば、結果につながってこないでしょう。
今まで沢山のプロやアマを見てきて、真剣さや練習の態度に大きな差が感じられないにもかかわらず、結果に大きな差が付くのを目の当たりにして、上に述べたことを感じるようになりました。